音楽と最新テクノロジーの関連性や可能性について考えていた最中(こちらの記事参照)、どうして我々はテクノロジーに頼り、身体拡張を試みるのか、神になりたいの?完全になりたいの?などと問うていた最中、なんともローファイでシンプルなアナログセットアップでドラムの即興ソロ演奏をしてみせるドラマーのパフォーマンスに出会った。ダイナミックで叙情的な、このフリージャズ/ノイズドラマーの演奏に、「あなたはすでに完璧!」と泣きたくなったのであった。
季節は11月の暮れ、Loopholeという名の今にも朽ち果てそうな店に到着した頃には、ベルリンの街は既に暗さに包まれていた。ノイズ関連の音で知られるこのクラブ/バーは、その廃墟寸前の見た目に反して、ベルリンアンダーグラウンドの至宝として愛され重宝されている。ブッキングポリシーは至ってオープンで、あらゆる形態の実験的な音楽やパフォーマンスを受け入れている。ある程度の音量への許容から、自然とノイズやエクストリームな実験音楽の場として知られる所以に。
カッセ(ドイツ語でエントランス)で見覚えのある笑顔が出迎えてくれた。ハードコアドラマーで、Multiversalという名義の下でオーガナイズも数多く行なっているUtku Tavil(ウトゥク・タビル)だ。彼のパフォーマンスを目当てに私はこの日、Loopholeに足を運んだ。それから、Marcello S. Busato(マルチェロ・シルヴィオ・ブサト)という、2000年代初頭からベルリンで活動している素晴らしいフリージャズドラマー。この2人が聴ければ、晩御飯のおかずはいらない。
こんなに少なくていいのかしら、という少額のエントランスをウトゥクに支払った。大体5から10ユーロの間で好きな額を、という感じでエントランスフィーは設定されている。本当にこんなに少なくていいのかしら、と思ってしまう。だって、一晩でこんなにたくさんのアクトが用意されているのだから…
Starling Murmuration Nr. 27 // November 28th// at Loophole Berlin
Anil Eraslan – チェロ
Nils Erikson – トランペット
Marcello S. Busato – ドラム、パーカッション
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Utku Tavil – ドラム
Margaret Unknown – ギター
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Francisco “Pacho” Davila – リード楽器
Andrea Massaria – ギター、電子楽器
Marcello S. Busato – ドラム、パーカッション
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Emilio Berne’ – プリペアード・ドラム
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Mat Pogo – ソファ担当(ミュージックセレクター)
店の中に入ると最初のセットが間も無く始まるという頃、3人がけのソファーに陣取ったMat PogoがターンテーブルとCDJを前に、まったりと選曲を担当していた。この時ターンテーブルに乗っていたのは、ベルリンのエクスペリメンタルドラマーAndi Stecherのリリースだった。偶然か必然かAndiはこの夜、数ブロック離れたArkaodaでプレイしているはずだった。いとも簡単に点と点が繋がる、ベルリン音楽シーンの濃厚さに思いふける。コラボレーションの多さと混成の活発さ。
オーガナイザーがひとつめのセットの開始をアナウンスすると、観客はぞろぞろと奥の部屋へ向かった。25人も入ればいっぱいの小さな部屋だ。ライブが行われるのは全てこちらの部屋。冷たいコンクリートの床に座る者、立って観る者、間も無くAnil Eraslan、Nils Erikson、Marcello S. Busatoのトリオによる即興フリージャズが鳴り響き始めた。見たことのない実験的なテクニークでチェロを弾くAnil Eraslanの時にパーカッシヴな音が、Busatoのドラムに呼応してうっとりさせる。途中でラインアップにはクレジットされていなかったギタリストAlex Kozmidiが参加し、ピアノのサステインペダルの形をした面白いペダルを使ってエレキギターの音をサステイン、フリーキーな音の壁が部屋に響き渡った。
続く2つ目のUtku TavilとMargaret Unknownによるパフォーマンスは、先立つアクトとは別ベクトルの方面へと展開した。「これからブルースを演奏します」とウトゥクのアナウンスが入る。ブーツにハットの出で立ちでアコースティックギターを持ったマーガレットは、確かにブルース・シンガーのような風体だった。一方でウトゥクはマイクに繋がれたスネアドラムとミキサーなどが載ったテーブルを前にしていた。演奏が始まった瞬間、部屋の中はラウドネスに支配された。鋭いホワイトノイズ、ギターのディストーション、過剰なまでのフィードバック、ギターの空洞に向かって叫ぶマーガレット、スネアのブラストビート、そしてエクストリームの最中に何処かへ行ってしまったマーガレットの帽子。この類の音楽において、最も重要なのはエネルギーなのだと気づかされる、そしてこのパフォーマンスには絶妙なエネルギーが備わっていた。元も子もない発言をお許し頂ければ、耳が痛いので私は爆音が好きじゃない。だけど、遠慮も容赦も無い真摯な表現のスリルには、何物にも変えられぬ力で聴く者を魅了する力がある。こういったパフォーマンスと並べられると何もかもが色褪せて見えるほどに。つん裂く高音にいよいよ耳が耐えられなくなり、スカーフで頭を覆った瞬間、パフォーマンスはクライマックスを迎え、音が止んだ。「えぇ、ただいまお聴かせしたのがブルースでした」と締めくくるウトゥクに、笑う観客。この短いセットを聴き終え、なんだか体中に説明しようの無いエネルギーが満ちている感覚に驚かされる。7分くらいだっただろうか、絶妙に聴覚を刺激して絶頂を迎えたパフォーマンスだった。
Pogoが再びソファーに腰掛け選曲しているバーに戻り、ウトゥクとマーガレットのパフォーマンスについて、Seki Kazehitoとこんな話をした。Sekiは日本人のミュージシャンでウトゥクの近しいコラボレーターのひとりだ。「凄い良かったし興奮したんだけど、こう言うジャンルって音がデカすぎると思わない?耳に悪いんじゃ無いかと心配になる。ノイズとかハードコアのアーティストって、耳がいかれないの?」と挑発的に聞いてみた。Sekiは私が今まで思いもよらなかった仮説で、答えてくれた。「筋肉やシナプスと一緒で、大音量を聴いて耳を使えば使うほど鍛えられて、解像度が高くなるという考え方もできない?」ノイズミュージシャンの耳の後ろが、ごん太いケーブルで繋がれている様子を想像して、有り得なくも無いなと思った。少なくとも、ウトゥクのサウンドマンとしての仕事は信頼のたるもので、そもそもウトゥクと初めて知り合ったのは、彼がPAを務めていたベルリンの重要なアヴァンギャルドジャズフェスティバルの一つ、A L’armeフェスティバルでの事だった。このフェスティバルでのクアドロフォニック・ステージの音の素晴らしさは特筆に値するものだった。
3組目のアクトは、サクソフォニストのFrancisco “Pacho” Davila、Andrea Massaria の奏でるギターと自作弦楽器、それから再びドラマーのMarcello S. Busatoによるトリオだった。ベネチア音楽院で教鞭を取るAndrea Massariaのクラシックの影響色濃いエクスペリメンタル・ジャズギターの音色は素晴らしかったが、直前のアクトの轟音から私の耳はまだ回復しておらず、唯一のこの夜の批評を言うならば、音量の大きいアクトを最後に持ってきて欲しかったなと言うところ。だが、近隣への配慮から早めの時間に大音量のドゥオのパフォーマンスを持ってきたのだろう。これも大事なオーガナイズ上の配慮、なので批評は撤回。
4つ目にして最後のパフォーマンスは、Emilio Berne’というイタリア人ミュージシャンによる、プリペアード・ドラムのセットということだった。プリペアード、すなわち、細工された楽器によるパフォーマンスは、演奏が始まるまでは予想が付かないことが常だ。暗い部屋の中心に、ごくシンプルなドラムセットが用意されていた。コンタクトマイクが縁にテープで貼り付けられたスネアドラムと、スネアの上にハンドスピナーのおもちゃがいくつか置かれている。クラッシュ・シンバルも細いワイヤーでコンタクトマイクに繋がれている様子。ハンドスピナーのおもちゃの俗でキッチュな見た目に騙されるのは簡単なものの、Berne’がスティックを持ち高速のパラディドルを叩き始めたと思うと、スピナーのおもちゃがシュルシュルと鋭い周波数で心地良い音のレイヤーを奏で始めた。スティックとまた一つ別の駒のような回転するおもちゃに持ち替えたBerne’、駒の回転とコンタクトマイクの摩擦を利用して、また別のトーンをファンキーなシンコペーションで絡めてくる。なんともミニマルで効率的、エキサイティングなドライブを保った演奏だった。おもちゃのキッチュな見た目とは裏腹に、音楽自体は叙情的でシリアスでスリリングだった。
予想外のパフォーマンスに、観客は魅入っている様子。満面の笑みで飛び跳ねている女の子の様子が目に入る。一方で私はといえば、想像力の限り追求し続ける音楽家たちに思いを寄せて、痛く感動していた。この街で、ゾディアック・フリー・アーツ・ラボが1968年から69年にかけてのその短命な存続期に、音楽の既成概念の否定を掲げ、実験を提唱したことで、クラウトロックの誕生に大きな影響を与えたこと。また、コニー・プランクが70年代にレコーディング方法の既成概念を壊して様々な実験的なレコーディング技術で近代の録音音楽の常識を塗り替えたのも、ここベルリンが発端だった。50年経った今なお、この街の音楽シーンに息づく実験精神を生々しく目の当たりにした感動に、心打たれていた。演奏が終わり、呆気に取られた観客の一部は、演奏の後味をゆっくりと取り込もうと部屋に残っていた。「まるで歌うかのような感覚なんだ」とBerne’は残った観客に、駒の奏でる音について説明していた。どんな細工をしているのか、フィルターなんかも使っているのかなど気になったのでBerne’に聞いた。「コンタクトマイクだけ、基本的にその音がミキサーに直接流れ込んでいる」と教えてくれた。
この夜から数日後、またもやUtku TavilとMarcello S. Busato、それからMat Pogoが今度は彼が長年Roberta WJM Andreucciというエレクトロニック・ミュージシャンと一緒にやっているJealousy Partyというデュオで演奏するとのことで、会場に向かっていた。
会場に到着すると、様々なビカビカと光るエレクトロニクスを構えたデュオが演奏しているところだった。部屋の中は暗く、デュオが奏でる重たいノイズに耳を、そして手にはビールを傾ける観客で一杯だった。長いアンテナの付いたプラスチックのラジオのようなもの、マイク、数々のエフェクターやフィルターペダル、それから光るツマミやスイッチが付いた様々な電子楽器が大きなテーブルに広げられている。インダストリアルな重たい低音が響き渡り、低周波と共鳴して腰掛けたレザーのソファがブルブルと震えているのを感じた。このデュオは何者だろう、と私はスマホを開いてラインアップをチェックした…。
Multiversal #89 //30th of November // at RauXXXaus / Schwester Martha
BUSÆXUS
Dr. Nexus – ボイス、エレクトロニクス
Marcello S. Busato – ドラム
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JEALOUSY PARTY
Roberta Wjm Andreucci – サンプリング、ミックス
Mat Pogo – ボイス、サンプリング
feat. Utku Tavil – ドラム
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Jd Zazie
Jd Zazie – ターンテーブル、cdj、ミキサー
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Company Fuck
ancient sport of karaoke(カラオケという伝統競技)
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čirnŭ x Piña
čirnŭ – エレクトロニクス
Constanza Piña – エレクトロニクス
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M-Sygma Correlation